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最近、鉱物に凝っていまして、陶芸の方がおろそかになっていました。久ぶりにこのサイトを開くと、色々とコメントを頂いておりましたが、返事もせずに申し訳ございませんでした。 八田焼が衰退していった大きな原因は、八田の陶工が時代にあった陶器を作らなかったことに尽きます。逆に考えると、昔の風情の残った陶器と言うことが言えるのでしょう。しかし、作っても、なかなか売れず、生活が出来ないのです。特に民芸というのは、手作りで大量に作るという事から、その味が生まれると思うのです。絵柄にしても、何千、何万と書いている内に、その中から生まれる芸術だと思います。 もう、時代が変わってしまったのです。陶器を作るよりは、何処かで働いた方が収入も多いし、安定しているし、どうしても、そちらの方へ行ってしまうのです。 隣の下田焼は、行政が保護しているからこそ、何とか継続しています。八田も「八田焼民芸館」なる物でも出来て、そこの職員として雇用されたら、これからも継続可能なのでしょうが、時代的に難しそうです。 しかし、八田焼が、この世から消えるのは、余りにも、もったいない話です。もう一度、何か道がないか考えてみます。
陶器から少し遠ざかっていましたが、近くの鉱山跡で釉薬原料の長石拾ったことから、再び、始めてみようかななんて思い出したこの頃です。 ![]() そして、またまた、偶然にも、昔の水車の石臼にも出会いました。そして、持ち主に分けて欲しいというと、要らないから持って行けとのこと、持ち主の気の変わらないうちに、早速持ち帰りました。 ![]() 庭に穴を掘っていけました。ここに長石を入れて、杵でついて粉にするわけです。 本来は米をつく臼でしたが、これからは長石をつく・・・・・よりは、案外コーヒー豆をつく臼になるかも知れません。 昔、コーヒー豆を石で潰して、点ててみたことがあるのです。ミルで粉にした豆よりも、本当に、格段においしかったのです。 釉薬にしても、同じ様なことが言われます。昔は、おそらく、石臼でついて粉末にしたものと思いますが、現在では、ミルで粉砕しています。そのため、釉薬が綺麗になり過ぎ、暖かみというか、持ち味が消えたように思います。特に、長石単味で焼く「志野」は、その特徴が顕著に表れます。 それで、市の主催する陶芸教室を覗いたのです。地元の人達と、地元の原料を用いた焼き物が作りたかったのです。しかし、どうも、私を煙たがる人が居られたので、仲間に入るのを止めました。温かく迎えてくれたら、みんなと一緒にやりたかったのですが、残念です。
八田の窯の火が消えてから、一年以上経ってしまいました。八田最後の窯は、14代の遺作を、私が焼いたのが最後になってしまいました。と言うことは、八田焼が、伝統工芸の資格を失ったことになってしまったのです。 しかし、隣の下田焼きも同じ運命でしたが、断絶してから、他所で継続していたことにし、その人を後継にたてて、伝統工芸を守っているのです。ちょっと、違法な感じを受けますが、八田も、この手を使って、再興することも出来そうです。 私も、これからは、時たま、八田焼を焼いてみようかなんて考えているのです。 ところが、今住んでいるところは、日本海気候で雪が降っているのです。写真は、窯のある大成の雪景色です。 ![]() と言うことで、暖かくなる春から、今年の秋を目指して、準備を進めるつもりなのです。そこで、今までの陶器をUPしていきます。せっかく、サイト検索でも、上位にランクされているのですから、せめて、このブログだけでも、がんばっていきます。よろしくお願いします。
八田焼佐兵衛窯は、江戸時代初頭、約400年前に操業を始めた、歴史の古い陶器窯です。 八田は、半農半陶の郷として、素朴な陶器を焼き続けていましたが、1年前には、13代が、また、半年前には14代が相次いで、この世を去りました。 そして、その永い伝統の火が消えつつありましたが、14代の妻が15代を、また、その次女が16代を継ぐべく、現在、努力を始めました。 私は、今から約6年前、佐兵衛窯で、利兵衛と称し、八田焼の製造に係わったことがあります。八田焼の技術を持つ一人として、八田焼の伝統の火を消さないように、力をお貸しする予定です。その奮闘日記、八田焼の紹介を、エキサイトブログとしてUPしていきます。 八田焼佐兵衛窯 滋賀県甲賀市水口町八田に有ります。八田焼については、私のHPにもあります。
14代は、様々なことに手を出していました。その一つに、油滴天目があります。 油滴天目は、1300度位まで昇温が必要です。普通の電気窯は、1250度程度が限界です。それを、無理して、さらに温度を上げるものですから、窯の蓋が曲がってしまったり、電熱線が切れてしまったり、色々なアクシデントがありました。それでも、何度も焼いていたのですが、ついに窯がついて行かず、中途で止めてしまいました。 ![]()
八田焼で、ちょっと、人気のあった陶器がありました。それは、詩の書いた湯飲です。 ![]() こんなのもありました。 モグラさん ごめんなさい 大根の種を蒔きました 半農半陶の里にふさわしい詩です。 写真の物は、「あふれる愛を君に捧げよう」 とか、「この世は二人のためにあるんだよ」 なんて、ちょっと、きざな物もありました。作者は、企業秘密です。
八田焼は、バーナード・リーチが作陶した窯として有名ですが、それよりも、本人たちは、宮内庁御用達の看板を大事にしておりました。 ![]() このかわらけは、宮内庁の神事で使われる物です。皇室ですから、当然、菊の紋と思われるでしょうが、実際には、日の丸が家紋のようです。 14代の死去により、八田から、完全にかわらけの技術は消え去ってしまいました。もちろん、日本からもです。ただ、値段が、1枚200円もしなかったと思いますから、この跡を継ぐ人は居ないでしょう。こうした伝統技術は、何らかの保護策がないと続いていかないと思います。もう、名誉という考えは通用しないのです。 ![]() こちらは、結婚式場向けのかわらけです。本物のかわらけは、吸水性がありますから使い捨てになります。それに、、非常に壊れやすいですから、扱いも大変です。それで、磁器が多用されるようになりました。 しかし、結婚式の三三九度くらいは、新品で行いたいですよね。私の息子の時は、この〇〇を使ってやりました。
下田焼は、八田焼と共に、兄弟窯と呼ばれていました。昔は、そっくりの陶器を焼いていたから、そう呼ばれていたのです。しかし、下田焼の方は、バーナード・リーチの作風を取り入れて、時代に即応していきました。一方、八田焼と言えば、一切、そうしたことはしなかったことが、盛衰の明暗を分けてしまいました。 しかし、陶器の下田焼は、次第に磁器に押されて行き、廃窯の憂き目を味わいました。 ![]() 下田焼の登窯は、現在でも、残っているはずですから、また、写真をUP出来るでしょう。
またまた、椿を生けてみました。しかし、いまは、自宅ではありませんから、花器がないので、小鉢に生けてみました。この時期、自然の花は、ほとんど、有りませんから、重宝な花です。 ![]() この小鉢は、信楽土に長石単味の釉薬です。
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